冷たい夜だった。気温の話じゃない。灰色のビルの一室で、よどんだ黒い空を見ながら僕は酒を飲んでいた。暗い夜だった。あるいはこれは夜ではないのかもしれないが、この街では同じことだった。遠くに灯が見える。何を照らしているのだろう。あの下にうごめいている数々の罪だろうか。光を当ててもらえるだけ、罪の方が僕より幸福だ。
酒が回ってきたようだった。安い酒でもこれだけ酔える。味わうこと以外の目的で飲んでる人間にはありがたいことだ。
こんな時、頭の回路はいろいろとんでもない所につながって楽しい。過去のどうでもよい記憶や、どうでもよい妄想や、どうでもよい神の啓示なんかがフリッカーを起こしながら頭をかけめぐる。映像の切り換わる速度はどんどん増してゆき、ついには真っ白な光にしか見えなくなる。光はやがて少しずつおさまって、そして何かが見えてくる。
碧い、空。空の上に僕は浮かんでいるらしかった。どこまでも続く碧空。そしてその下は、碧い海。それが視界の全てだった。
幼いころ、僕はたしかに空を飛べた。なぜなら、飛ぶべき空があったからだ。あのころと同じ碧い空さえあれば、僕はまだ飛べるはずだった。
そして、今僕はこうして空を飛んでいる。一体何を目指して飛んでいるのか、僕にはわからなかった。しかし何かに向かっている、そう信じた。眼下には波が輝いていた。そのずっと先には水平線があるはずだったが、空に溶け込んではっきりしない。僕は風に誘われるままに飛んだ。そして、一方では自分が何に向かって飛んでいるのかを考えていた。
空はどこまでも碧く、静かだった。その静かさが、僕の中にある感情をかたちづくった。それは――恐怖、だった。同時に、僕は自分の目指すものに気づいた。
僕は、陸を探しているのだ。
空に浮かんでいるのが、不安だった。はやく地上に降りたかった。飛ぶべき空があるのに、その空を飛んでいるのに、僕は陸を探していたのだった。
目が覚めた。地上に落ちたらしい。心地よい灰色と黒の世界が回りを取り囲んでいた。僕は起き上がって、コップ一杯の水を飲み干した。今度海を見に行こう、そんなことをぼんやりと考えていた。たぶん、そこも灰色だろう。