彼女はいつもたくさんの石ころをポケットに入れて持ち歩いている。河原で拾ってきたようななんてことのない石だけど、そのひとつひとつにマジックで黒い丸がつけられている。
それはいったいなんなのと聞いたら、彼女はこう答えた。
「これはね、わたしの眼」
彼女は自分が訪れたありとあらゆる場所にその石ころを置いていく。喫茶店の鉢植えの影。映画館のスクリーンの前。列車の窓の縁。デパートのトイレ。教室の黒板の上。ふたりで過ごしたベッドの脇。図書館の本棚のすきま。公園の噴水の中。テレビ塔の展望台。街のいたるところに、彼女の眼はある。
彼女はときどき、両の眼をうつろにしてそれらの石の眼をひらく。歩いている最中でもお茶を飲みながら話をしている最中でも、いつでもどこでも彼女の視覚は突然とおくに切り替わる。ぼくはそのたびちょっと取り残されたような気持ちになるけれど、そのときの彼女ののぞき見をしているようないたずらっぽい表情がまんざらでもないのでなにも言わない。
「わたしの夢はねえ、世界中のすべての場所にわたしの眼を置いて回ることよ」
彼女はことあるごとにそう言っていた。
そんな彼女がぼくの前からいなくなって、もう半年になる。
だれにもなんにも言わず、彼女はふらりと姿を消してしまった。ただ、大きな重そうな袋をひとつ下げて駅にたたずむ彼女を見たという人がいるだけだった。どこへ、なんのために行ってしまったのか、それを知る人はいない。
でもぼくにはわかっている。彼女は自分で言っていたとおりのことを実現しにいったのだ。袋にいっぱいの石の眼を、世界中にばらまく旅に出たのだ。いま彼女はいったいどのあたりにいるのだろう。それとも、もうどこにもいなくなってしまったのだろうか。石の眼はぼくの部屋にもあるから、ぼくはうかつに泣くこともできない。