彼女と会う、最後の日。凍りついたカフェテラスの片隅で、僕は彼女の視線に耐えていた。
恨みの言葉を吐きかけられても、僕は何も言えない。平手打ちを食らって立ち去られても。――いや、そのくらいのことをしてくれた方が僕はむしろ救われるかもしれないのだ。でも、彼女はただ僕の顔を見ていた。何も言わずに、ただ僕の顔を見つめていた。
重圧に耐えかねて、僕は口を開こうとした。と、その唇の動きを察したように彼女がぽつりと話し出す。
「あのね、辞書を引いたりするとね、同じ文字がたくさん並んでるでしょ」
「……え?」
僕には、彼女が何を言おうとしているのかよくわからなかった。
「それでね、その文字を何分間も、じっと見つめているの。他のことを何も考えずに、ずっと眺めてるの」
困惑している僕をよそに彼女はいつもの――そう、いつものあの恥かしそうな、少し眠たそうな口調でひとり話し続ける。
「そうするとね、いつの間にかその文字がね、知ってるはずのその文字がね、意味のない、見たこともない線の集まりに見えてくるの」
彼女は消えてしまいそうな微笑を浮かべて、言った。
「あなたの顔もね、じっと見つめてたらそういう風にならないかと思って……それでずっと、見つめていたの」
ジャメヴュ。未視感。過去に見知ったはずの記憶が、現在見ているカタチとの連関を失う。記号に割り当てられていた意味が剥離する、あやうい瞬間。
だが、それが心地よく思える時もある。
夜。ひとりの部屋に戻って、僕は鏡の前に座る。そして、自分の顔をじっと見つめる。見慣れた僕の顔から、徐々にこれが自分であるという感覚が抜け落ちてくる。
――コイツガダレダカワカラナクナッテシマエ。
やがて鏡に映る顔が、見たこともない他人のものになるまで。
――コイツガダレダカワカラナクナッテシマエ。