頭に子猫の死体をつめて

 なまぐさくってべちょべちょした脳味噌を捨てて、頭に人と違うものをつめこまなきゃならない。みんなそうしてるからだ。おなじ形おなじ色の肉のかたまりでモノを考えていたのではいけません、ひとりひとりがコセイを持ってモノを考えましょう。みんながそう言うんだ。
 友達のヨータは頭に機械をいっぱい入れた。頭の先からピョコッと出ている真空管を見てトランジスタにすればいいのにと言ったら、ヨータは「真空管の方がマイルドな脳波が出るんだよ、それにこの方がオシャレやん」と答えてぼくを鼻でふふんと嗤った。隣の部屋に住むOLのユカコさんは頭をガラス張りにして水を満たし、その中に水草とエビを入れている。エビや水草が死なないのかしらと心配になったけど、この中でちゃんと生態系ができてるからだいじょうだとユカコさんは言う。エサがないんだからいずれエビは死ぬだろうとぼくがさらに食い下がったらユカコさん、うふふと甘く笑ってつぶやいた。 「そう、そのときを楽しみにしてあたしはこれからを生きていくのよ」
 そんなわけで、ぼくもいそいで何か頭につめこまなくちゃならない。そうしなければオクれてしまう。でもからっぽのぼくの頭にいったい何を入れたらいいんだろう。ああ、入れるものをちゃんと考えてから脳味噌を抜き出せばよかった。うまく考えられない。
 固いものだと痛そうだから、ふかふかしててあったかいものがいいな。そうだ、思いついた。猫をつめよう。おっきな猫だと入り切らないから子猫でなきゃ。あ、それに、生きていると中で暴れたりひっかいたりするから死んだ猫にしないといけない。ぼくは自分のアイデアにわくわくして、さっそくおとつい生まれた猫のアドルノを電子レンジでチンして頭に押し込んだ。ぴったりだ。

 頭に子猫の死体をつめて、街をあるこう。ふわふわふかふかしたココロがぼくをシアワセにする。ぼくはもうオクれた人間じゃない。ほら、頭に神棚をつけたあのじいさんより、ゼリービーンズを耳からはみ出させてるあの女の子よりぼくの頭はイカしてるじゃないか。うきうきして足どりもはずむ。さあ、チヨリに会いに行こう。
 いつもの喫茶店のいつものテーブルに、チヨリはいつも置物みたいに身じろぎもせず座っている。ぼくはいつものようにチヨリの向かいの席に腰を下ろし、「待った?」と声をかける。それがチヨリの動きだす合図だ。
「ねえ、ぼくちょっと変わったと思わない?」
 ぼくはもったいをつけてチヨリに聞いてみる。チヨリはきょとんとした顔でぼくをのぞきこむ。
「さあ? なんだろ……」
 チヨリは首をかしげて考え込んだ。気づいてるくせに。わかってるくせに。それでじらしてるんだ。
「まあいいさ。さて、何を飲もうかな。チヨリは?」
 ぼくはメニューを広げてチヨリの方へ差し出した。
「うーんと……ん……ん、くしゅん!」
「どうしたの? 風邪?」
「ううん、なんでもないの……あたし、薄荷のソーダ」
 チヨリは鼻を指でごしごしこすりながら言った。ぼくは指をパチンと鳴らして店の人を呼び寄せる。
「えっと、薄荷のソーダと、ぼくは陰干しコーヒーね」
 チヨリはまだ鼻がむずむずしているようで、指でこすっているうちに鼻の頭がぽっちりと赤くなってきていた。
「だいじょうぶ?」
「だいじょうぶ……だとおも、ふ……くしゅん!」
 チヨリはもうたまらないといった感じで、ハンカチを鼻にあてがった。目には涙までたまっている。ぼくは心配になってチヨリの顔をのぞきこむ。
「おかしいな、ごめんね。……ね、なにか話して」
 少しはおさまったのか、チヨリはそう言ってたった今目の前に置かれた薄荷のソーダをひとくちすすった。そうだ。話をしよう。そこいらのカップルがするような気の効いた話を。そのためにぼくは脳味噌を入れ替えたんじゃないか。ぼくは話をするのがうまくなくていつもチヨリに退屈そうな顔をさせてしまうんだけど、これからはちがう。ふかふかの猫が次から次へと話題をつむぎ出してくれるんだ。
「ねえ、あの映画観た? “武装の権利”。エクスプラナーダ・フォルトゥナータ監督の新作」
「いいえ、まだ観てないわ」
「あれは観るべきだよ。誘ったらよかったね。もっとも前作の“このエスカレーターはあなたの行先には止まりません”の方が脚本は数段上だったけど。まあもともとあの監督は……」
「くしゅん!」
 チヨリのくしゃみがぶりかえした。目が真っ赤だ。
「ほんとにだいじょうぶ?」
「うん。続けて。……くしゅん! くしゅん!」
 チヨリはほんとにつらそうだ。でもぼくにはどうしようもないから、とりあえず話し続ける。チヨリのくしゃみは心配だけれど、ぼくは自分のあたらしい頭の回転に満足していた。脳味噌を入れ替えてほんとによかった。こんなにすらすらと話題が口からのぼってくる。
「じゃ、音楽の話をしよう。この前マービン・フンパラングス・ジュニアの新譜が出たでしょ。“トペ・レベルサの休日”。まだ聴いてないなら今度ぼくの家に聴きに来るといいよ。三曲目の“君はぼくのウラカンラナ”は最高だね。特に間に入るジョニーAの三百八十七弦ギターのソロときたら……ねえ、聞いてる?」
 チヨリはとめどなく出てくるくしゃみをおさえながら、ぼくの話もうわの空という感じであたりをきょろきょろ見回していた。なにかを必死で探しているようだ。ぼくはちょっとだけムッとした。
「どうしたの? なに探してるの?」
「ん……いや、なんでもないんだけど……」
「言ってみなよ」
「もしかして、猫が近くにいるんじゃないかと思って……」
「え?」
 猫?
「なんで猫を?」
 ぼくはなんだかどきりとして、チヨリにたずねた。チヨリは鼻をこすりながら答える。
「言わなかったっけ? あのね、あたしね、猫アレルギーなの。猫の毛とかにおいとかそういうのがダメで、近くにいると鼻がおかしくなるのよ。……くしゅん! やだ、考えるだけでまたくしゃみが出ちゃう。だから、どこかこの近くに猫がいるんじゃないかって思って」
 なんてこった。チヨリが猫のアレルギーだって? そんなことちっとも知らなかった。
「でもおかしいよね、このお店に猫がいるわけはないし、猫をつれた人を入れるわけもないし……」
 ぼくにはやっとわかった。ことばだ。ぼくのことばがチヨリに猫アレルギーを起こしてしまったんだ。猫の頭で考えたことばだから、その中にも猫の毛がまじってたんだ。せっかくカッコいいアイデアだと思ったのに。チヨリがぼくを見直すと思ったのに。
「どうしたらいい? ねえ、どうしたらいいのかな?」
 ぼくはおろおろとしてチヨリに聞いた。
「そうね、とりあえず……」チヨリはすこし考えてから、言った。「しゃべらないでいてくれる?」
「え……」
「なぜだか、あなたがしゃべると鼻がひどくなるみたいなの」
 ぼくはもう口をつぐむ他なかった。これからどうしよう。ぼくの前の脳味噌はもういらないものだと思って捨ててしまったし……。
 ああ、だんだんものが考えられなくなってきた。猫の死体がくさってきたのかな。人のからだってあたたかいから傷むのも早いんだろうか。それとも電子レンジでチンするじかんがたりなかったのかしら。これだったらまえのぬるぬるしたのうみそのほうがよかったかな。でも、いまのぼくにはこのほうがおにあいなのかもしれないくさったねこのくりだすことばが。ああチヨリがわらっている。くちをきかないぼくをしあわせそうなめでみている。そうだチヨリはぼくがなにもたいしたことをしゃべらなくてもいつもこんなふうにわらってくれていたじゃないかそれでじゅうぶんだったのにぼくは




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