投げっぱなしメディア・ホームページの危険な誘惑

マスメディアの浸透を「だれもが十五分間だけ有名になれる」という言葉で表現したアーティストがいた。だが現在のWWWの状況はそれどころではない。ここでは、だれもがいとも簡単に「メディアの主」になれるのだ。

「投稿マニア」から「俺様メディアの編集長」へ

 インターネットをはじめる動機は人それぞれだ。「世界の情報にアクセスしたい」という教科書的な答えもあれば、「毛が見たい」「具が見たい」「死体写真が見たくて見たくてたまらない」というまっとうな要求もある。私の場合、それは「自分のホームページが持ちたい」という一点に尽きた。
 インターネットはよくパソコン通信と比較されるが、パソ通というのは要するに「新聞投稿欄」だ。自分の意見を書いて、それを通信サービスというメディアに載せてもらう。投稿欄と違うのはボツがないという点だけだ。そこでは私たちは「一投稿子」でしかない。
 そこへ行くと、ホームページは違う。これはそれ自体が独立したひとつのメディアである。ウェブ上にホームページを開設するということは、つまり自前のメディアを持つということに他ならない。パソコン通信では一投稿子だった人間も、ここでは編集長だ。

クモの巣に群がる「蝿の王」たち

 そんなわけで、私は自分のホームページを作ることにした。ヒマな時に書き散らしていた雑文が腐るほどあったから、コンテンツには困らない。あとは「日記」と称して戯言を追加していけば、立派な俺様メディアの誕生だ。
 よくしたもので、しばらくするとこれにメールで感想を送ってくれる人が出てくる。たいていはまあ、そこそこ誉めてある。けっこう、いやかなりいい気分だ。やっぱり俺様メディアっていいなあ。
……と甘美な幻想にひたっていればシアワセなのだが、ひねくれ者の私にはどうも何かが引っ掛かる。
 ラクすぎるのだ。
 簡単すぎる。気持ちよすぎる。
こういうものには、経験上ロクなものがない。ふと冷静になって、客観的に自分のページを見返してみた。すると、これが実にくだらない。私はかなり自惚れの強い方だが、それにしてもダメダメだ。
 よく考えると、見たホームページがつまらないからといって、それをメールに書いてくる人はそうはいない。つまらなかったら二度と来ないだけだ。メールで寄せられるのは、だから好意的な意見だけになる。誉め殺しというやつだ。
 陳腐な言い方だが、メディアとは「受け手と送り手のキャッチボール」である。情報を送った者は、それを受けた者の反応から逃れ得ない。つまらないという批判は甘んじて受けなければならないし、その意見が多勢ならつぶれるしかない。だが、ホームページにはこういったキャッチボールのシステムが欠如している。投げっぱなしである。淘汰もされない。
 これは送り手である「にわかメディア王」にとっては、この上なく心地よいことだ。しかしそれがどんな恐ろしい結果を生み出すか、そろそろ気づかないとマズいのではないか。WWWという空間は、このままでは総体としてスカスカになってしまいかねない。
 な〜んて言いながら、私は今日もマイページに俺様情報を発表していくのだ。だってラクだもん。
もどる

copyright(C)1996-2009 FUJII,HIROSHI all rights reserved.