画期的新商品「ヒキコモリンガル」
吉本芸人のギャグが365パターン入った目覚まし時計というのがあるそうだ。1年間、毎日違うギャグで起こしてくれる趣向らしい。だが365本となると、「ア〜メマ〜」や「ごめんくさい」などといった有名どころのギャグだけではとても追いつかないのではないか。きっと8割くらいは、だれも知らない新人やマイナー芸人による、聞いたこともないようなネタで占められていると想像できる。
そんなものより、ワタシは「笑福亭鶴光のエロボイスが365日分入った目覚まし時計」がほしいと思う。毎朝決まった時間にあの地を這うようなダミ声で
「わんばんこ」
「にゅ〜と〜の色は?」
「かぶせは?」
「ちゅ〜しゃしたろか」
「ビバ〜ヤ〜ング〜パヤパヤ〜」
などとガナる目覚まし時計。『鶴光のオールナイトニッポン』で精通を迎えたワタシとしてはぜひ枕元に置いておきたいアイテムである。あと姉妹品として「やしきたかじんの暴言が365日」「桂ざこばの泣き声が365日」という目覚ましはどうだろう。いやワタシはいらないが。
マイケル報道の吹き替えは三ツ矢雄二でフィックス
30代も半ばにさしかかったワタシの目下のテーマは「80年代の自分を見つめなおす」ことだ。
80年代の前半ワタシはアニメおたくで、後半はサブカルバカだった。そして次の10年間、ワタシはそのどちらの自分も許せないでいた。今は自分がおたくであることはかなり肯定できるようになったが、サブカルに対してはいまだにものすごい同族嫌悪がある。
この時期の自分に対する屈折した感情をどうにかするには、積極的に80年代と向き合うしかない。苦くてすっぱい「若気の至り」を追体験することで、過去の自分を昇華させるのだ。
というわけで近ごろワタシは80年代に触れた映画や本、音楽などをふたたび掘り返している。そんななか、筋肉少女帯のメジャーデビューアルバム『仏陀L』のCDのオビにこんな煽り文を見つけた。お姉さんは筋肉少女帯を見にいったきり、もう2度と帰っては来なかった…
おーふくビンタハードパンク“筋少”ドードーデビュウウウウウ!これだ。この恥ずかしさとワタシは対峙していかねばならないのだ。
君を連れて逃げよう どこか和民のない街へ
そろそろ鍋のおいしい季節である。鍋を囲むと人の性格がよく現れると言うが、それはとくに「しゃぶしゃぶ」において顕著だとワタシは思う。最初にどばっと野菜を入れちゃうヒト、断固として肉しか食べないヒト、自らアクとり担当を買って出るヒト、肉を5枚ほどわしづかみにして入れるヒト。他の鍋に比べてしゃぶしゃぶは「自分の肉は自分でしゃぶしゃぶする」という個人プレイの占める割合が大きい。だから本性がよりはっきり出るのだ。ちなみにワタシは「野菜→肉→酒→野菜→肉→酒」というローテーションをきっちり守らないと落ち着かないタイプである。
以前、何人かで食べ放題のしゃぶしゃぶ店に行ったときのこと。肉の盛られた皿が来たとたん、メンツのひとりである中国人留学生(しゃぶしゃぶ初体験)がいきなりその肉を全部鍋にぶちこんで、席上がパニックになったことがある。どうやら「肉をよく煮込もうとした」らしい。
はじめて食べる料理のイニシアティブを躊躇もせずに取る留学生くんの性根もすごいが、その瞬間立ち上がって「うわああああ何すんじゃーっ!!」と店中に響きわたる声で絶叫したわれわれ日本人の心性もむき出しになったひとときであった。食べ放題だからいくらでもやりなおせるのに。ところでしゃぶしゃぶを食べたあと、シメとして残った湯でラーメンをつくる店があるが、あれってものすごくみみっちい気がするのはワタシだけですかね。顆粒スープを湯で溶いたりして。
祝・又吉イエス東京進出
あーでも一区かー。おれ五区なんだよなー。観終わったビデオを巻き戻してるとちょうどテレ朝の『テスト・ザ・ネイション』というIQテストの特番をやってたので、観るとはなしに観ていた。ワタシが観たのは「答え合わせ」の部分だけだったのだが、そのなかのある瞬間にワタシは心臓が止まるかと思うほどの恐怖を味わった。
それは認知に関する問題のひとつで、AからDまで4種類の顔写真が天地逆に表示されている。そのなかで「不自然なのはどれでしょう」というのを探すわけだ。で、答え合わせでは、その問題の写真がくるっと回転し、天地がもとに戻る。すると、中のひとつの顔の口の部分が上下逆(つまり問題の写真では正位置)であったことがはっきりわかるのだ。
それがものすごく怖かった。写真の天地がもとにもどり、そのうちのひとりの顔に口がさかさまについていたことがあきらかになる。その瞬間がもうどうしようもなく怖かった。
ワタシはこういう「自分の認識があやふやになる瞬間(あるいは、あやふやだった認識が突然フォーカスされる瞬間)」というのが昔からものすごく怖い。だから、「だまし絵」の類はひとつ残らず怖い。一時はこのサイトの看板を「少女と老婆」にして自分を馴らそうとしたが、だめだった。「先っぽに>とか<とかがついてる棒」でさえあいかわらず怖い。
ところで、件の問題の4種類の顔写真のひとつはキャメロン・ディアスだったのだが、あれは一種の「ひっかけ」なんでしょうか。「こんな口のヤツいねーよ!」とか。
FAXニューズレターはじめました(※ごめんなさい、現在はやめております)
ワタシは計測が好きだ。今住んでるところに越してきて一番楽しかったのは、家具などを入れるために部屋の各部の寸法を計ることだった。あと、うちで一番の宝物は体脂肪率の計れる体重計だ。といってもそのデータをもとにダイエットする気はない。ただ計る。それが楽しい。そんなワタシがいま一番ほしいのが「基礎体温計」だ。最近の電子基礎体温計は、計測した体温の推移を液晶画面でグラフ表示してくれたり、上等なのになるとUSBでPCにつないでデータ管理できたりするのだ。
男が基礎体温を計ってどうすんだと言われるだろうが、そんなことはどうでもいいのだ。毎日の体温がグラフに! それだけでもうワタシはメロメロだ。ところでこれはずっと女性に聞けずにいた疑問なんだけど、基礎体温計ってやっぱりまんこに入れて計るんですか?
藤井総裁のニヤケ顔は戸塚校長に似ている
どっかがナニしてるヒトの笑い方ですね、あれは。こないだ『リーグ・オブ・レジェンド』を観た。映画のベタな感想文を書くのはこのサイトの本意ではないので特に内容には触れないが、意表をつくキャラクターが一堂に会する話というのはやはり心躍る。
そこで、ワタシも日本版「超人紳士同盟」を考えてみた。時代設定はだいたい大正時代あたり。栄えあるメンバーは以下のとおりである。・葦原将軍
(精神病院から数々の「詔勅」を発した誇大妄想狂。日本史上最も愛されたキチガイ)
・福来友吉
(長尾郁子の念写、御船千鶴子(『リング』の貞子の母のモデル)の透視などを研究した博士)
・出口なお
(大本教の創始者。「お筆先」と呼ばれる託宣で現体制転覆をアジりまくったアナーキーなカリスマ)
・小谷部全一郎
(『成吉思汗は源義経也』の作者。霊能者によると本人も静御前の末裔らしい)
・木村鷹太郎
(ギリシア神話は日本神話が起源、邪馬台国は古代エジプトにあった、ソクラテスは日蓮だった……など、世界のあらゆる文明が日本起源であるという学説を連発した珍歴史学者。愛称キムタカ)だれかこのメンツで映画一本撮ってみませんか。
ファインディング・ニモってまだ公開前だったのか
予告編30回観たからもう本編観なくていいや。きっとすぐ404になるだろうからニュースソースにリンクは張らないが、桝添要一の自宅に「自称右翼」が脅迫電話をかけてきたそうである。その事件自体はまったくもってどうでもいいことなのだけれど、こういうニュースで肩書きに「自称」をつけられるのは悲しいことだなあ、とつねづね思う。
サラリーマンとか公務員とかいったきちんとした肩書きに「自称」はつかない。「自称」がつくとすれば、それは「ちゃんとしてない」からだ。自称経営コンサルタント。自称教祖。自称作家。こういう場合、たとえばその肩書きで具体的にこれだけ年収を得ていればもう「自称」ではないというレギュレーションでもあるのだろうか。だとしたら、もしワタシがなんかの拍子に捕まったら「自称ライター」と呼ばれる公算が高い。こないだ、中国人窃盗犯がバールで警官に殴りかかり、その警官が発砲して取り押さえたという事件があった。「バールのようなもの」ではない。「バール」だ。
犯人には相応の報いを。しかし、そのバール(断定)には幸あらんことを願うばかりである。
地震でも『はなまるマーケット』はサバ味噌特集
むしろリスペクト。ZEEBRA(ジブラ)というラッパーがいる。ワタシはたまにつけっぱなしのFMラジオで耳にするほかは「ホテルニュージャパンの横井社長の孫」という豆知識ネタとしてしかそのヒトを認識していないのだが、こないだZEEBRAのファンだという子と話す機会があった。
「いやースルドいっすよZEEBRAさん。フジーさんなんか日本語ラップなんて近田春夫といとうせいこうしか知らねーでしょ。聴かなきゃダメですよZEEBRAさん。貸しますよキングギドラ」
その熱弁で、ひとつわかったことがある。ファンはZEEBRAを必ず「さん」付けで呼ぶのだ。彼だけのことかと思って後で調べてみたら、ファンならみんな「ZEEBRAさん」と呼ぶのがお約束らしい。これは昔のプロレスファンが猪木と馬場だけには必ず「さん」をつけるようなものなのか。あるいは、「さかなくん」とか「坂本ちゃん」みたいに、「ZEEBRAさん」でひとつの芸名なのか。
ファン心理を逆なでしないよう、これからはZEEBRAと「さん」は必ずセットで憶えておくようにしたいと思う。横井英樹と蝶ネクタイがセットであるのと同じように。
生まれてこなければよかった(ポリアンナよかった探し)
Sobigウィルスの物量攻撃もようやく収まってきた昨今だが、いまWORM_ANTINNY.Aという新種が一部で猛威を振るっているという。
これはメールではなくファイル交換ソフト「Winny」を介して広がるウィルスで、ユーザーがついダウンロードしたくなるような単語を組み合わせて自らのファイル名を偽装するらしい。その偽装ファイル名の例がトレンドマイクロのサイトのウィルス情報ページに報告されている。いわく……お宝美少女18才ワレメ04オナニー.rm盗撮主婦マンコ0118禁パイパンM字開脚少年アニメコギャルクリトリス制服.exe
マンコ同人誌露天風呂コギャル640x480APZ乳首ワレメスクール水着制服.lzh.avi浣腸女子大生巨乳.mp3.GBAミニスカート.exe
萌え動画(cdi)邦画お宝06サントラ田舎ジブリ裏.MAME露出乳首未発表声優露天風呂妹おもらし女子大生ブルマ看護婦.exe「兄貴」「ガチムチ」「マッチョ」「SG」「肉牡丹」などの単語が入ってないのでワタシにとってはひと安心だ。
沼攻略編が終わるころ きみを迎えにゆくよ
少し前からネットで急速に話題になり、ついには『トリビアの泉』でも取り上げられたガチャピン食人ソング『たべちゃうぞ』。だが、ポンキッキ世代直撃のワタシにはこの歌に関する記憶がまったくない。視聴者からのクレームにより1週間で放送が打ち切られたというから無理もないのかもしれないが、これが発表された1975年といえばワタシは6歳、いちばんいっしょうけんめいポンキッキを観ていたころである。事実、レコードのカップリング曲である『パンダがなんだ』は今でも完璧にソラで歌える。
それよりもワタシが『ポンキッキ』で怖かったのは、番組の最後にやっていた「コンピューター発達相談」とかなんとかいうコーナーである。これは幼児をプロジェクターつきの椅子に座らせて矢継ぎばやに(そして淡々と)知能テストの問題を出し、その能力を調べるというものであった。そのテスト機(というのかどうかは知らんが、雰囲気的にはまさしくそういう感じ)はまるで『時計じかけのオレンジ』とか『未来世紀ブラジル』みたいな不気味な印象で、照明もかなり薄暗い。ワタシはコドモゴコロに「人体改造」とか「洗脳」とか(←おもに『仮面ライダー』でおぼえた単語)を連想してそりゃあもう恐ろしかった。
だが同年代の人間にこのことを話しても、だれもこの「コンピューター発達相談」のことを覚えていない。これはもしかしてワタシの記憶違いなのか。それともワタシの記憶があの椅子によって消去されているのか。いや、もしかするとワタシ以外の人間全員があのキカイにかけられて……
これ以上書くとガチャピンにたべられそうな気がするので、このへんでやめておく。
夢を目指して就職しないフリーターと、夢をかなえたのに収入がフリーター並のクリエイター
いっしょに暮らすならどっち?『マツケンサンバ』といえば、松平健が自らの特別公演でのみ披露する一大歌謡レビューである。その存在はかつてはファンのほかは一部の好事家にしか知られていなかったが、ここ1〜2年で徐々に注目されるようになった。
まず2年ほど前にWebのネタとして少しずつ流れだし、公演会場と通販でしか手に入らないそのCDトラックがMXに流出。昨年夏にはついにNHKのショー番組で放送され、さらに今年はCS「時代劇専門チャンネル」の松平健特番で何度もリピートされるに至る。そして先日など、ヌルい芸能情報しか流さない朝ワイドショー『ズームインSUPER』でもマツケンサンバを取り上げていたのだ。
当初は門外不出、舞台に足を運んだものしか目にすることができないと言われてきたマツケンサンバ。その情報がなぜ今これほど流出しだしたのかわからないが、この情報の流れ方があるものと共通していることにワタシは気づいた。
それは「UFO」だ。
UFOの実在は疑いないものだが、それをいきなり世界に公開してはパニックが起こる。だから最初は「世間のうわさ」レベルでUFOの存在を知らしめ、その後『未知との遭遇』『E.T.』などの映画をつくらせる(もちろんMJ12とかそのへんが)ことでさらなる浸透を図る。そうして世界中がもはやUFOに驚かなくなったところで、その実在を公表するのだ。矢追純一がそう言ってたんだから間違いない。
マツケンサンバも、このような巧妙な情報操作によっていずれ大々的に大衆の前に姿を現すことになるのだろう。それは人類のさらなるステップとなるのか、はたまた破滅への序曲なのか。それを見極めるために、とりあえずは新譜『マツケン ダンストラックス』をただちに入手せねばなるまい。
アーノルド坊やはミンキーモモ
アダルトタッチで大人になれ〜!……ま、魔法が効かないっ!1カロリーとは、1g(1cc)の水の温度を1℃上げるのに必要な熱量である。ということは、1ccの氷水を口に入れると、恒温動物である人間は必然的にそれだけで36カロリーほど消費するわけだ。
1000cc(1ℓ)なら36000カロリー、つまり36キロカロリーの消費。10ℓなら360キロカロリー。そうやって考えると、50ℓの氷水を飲めば、それだけで1800キロカロリーを使うということになる。
人間は基礎代謝として最低でも一日1200キロカロリーを消費するので、座して一日50ℓの氷水を飲んでいれば、それだけでもうすごい勢いでダイエットできるはずである。いかがだろう、氷水ダイエット。本書けば儲かるだろうか。
あ、でも水って十数リットル一気に飲んだら中毒で死ぬんだっけ。
今年の夏は「なかったこと」になりました(気象庁発表)
設立以来の方針でアクセスカウンタをつけていない当サイトであるが、一応こっそりとアクセス解析なんぞというのを仕掛けている。これによって、どういう検索キーワードでうちにたどり着いたかという統計も取れる。
で、当然ながら検索ワード統計の最上位は「ちんこ」「まんこ」なわけだが(ちなみに件数は「まんこ」が「ちんこ」の3倍)、最近それに迫る勢いでなぜか「みょうが料理」というキーワードが浮上してきた。しかし「みょうが料理」で検索してうちに来てもらっても、別にみょうがのレシピがあるわけではない。
これではなんとなく申し訳ないので、ワタシのとっておきのみょうが料理レシピをここでひとつご紹介しようと思う。【みょうがのしっぽごはん】
材料:
みょうが……100ヶ
米……適量つくりかた:
1)米を研いで水加減する。
2)みょうがのしっぽ(根元)の白い部分だけを100ヶ分切り、軽く塩でもんでしんなりさせる。
3)2を1に入れて炊く。
4)食う。ワタシがこよなく愛する「みょうがのしっぽのほう」を味わい尽くす最高のレシピである。みょうがが100ヶ手に入ったときにはぜひお試しいただきたい。
問題はみょうがのしっぽじゃないほうが100ヶ分余ることだが、その利用法に関しては検索して探しやがれ。
うっきうっきしちゃ〜うキャヨ〜ン
↑今最高にむかつくCMソング昨日一日どういうわけか腹をこわしてしまった。原因はよくわからない。さいわい今はもう大丈夫なのだが、自分でもちょっとおもしろいほど下って往生した。今おれは口から尻まで一直線につながってるのか、おれはちくわか、というくらい。
たまたま苦しんでいる最中に知り合いから電話がきて、ワタシは上のようなことを「ビローなハナシなんだけどさ……」と前置きして話し出した。すると相手は
「あーもう、フジイさんってそういう話好きだなー。もっとアバブにいきましょうよ」
「……ア、アバブ?」
どうもその相手は、尾篭(びろう)という言葉は「下ネタ=belowなネタ」のことであり、その反対語は「アバブ」だとずっと思っていたらしい。ワタシもこれからはもうすこしアバブな話ができる人間になりたいと思う。
人生のデリケートゾーンのかゆみに効く、そんな薬がほしい
以前読んだ本の中に、こんなエピソードがあった。
ある学校に、とても頭の回転がよく勉強熱心なひとりの生徒がいた。その才能は算数においてとくに発揮され、彼自身も進学して数学を学ぶことを望んでいた。だが彼の家は非常に貧しく、高等教育など望むべくもない。そういう時代の話である。彼を受け持っていた教師は、この才能がこのまま埋もれてしまうことを悲しみ、なにもしてやれない自分を責めた。
そして数十年が経ったある日。すでに老境に達した教師のもとを、ひとりの男性がたずねてきた。彼こそはあのときの秀才である。彼は貧しい家を働いて支えながら、独学で数学の勉強を続けていたという。そしていま、彼は自力でまったく新しい数学理論を発見したのだ。それを先生にぜひ見ていただきたい、と。
教師は、ノートにびっしりと書き込まれた彼の論文を読んだ。
それは、完璧な「連立方程式」の理論であった。彼はまったくの独学で「連立方程式」という概念に到達したのだ。
だがそれは、いまでは誰もが中学校で習うことだった。こないだ、「外側が黄身で内側が白身のゆでたまご」の作り方を40年あまりかけて編み出した老板前のニュースを読んで、ワタシはこの話を思い出した。そんなものの作り方は、テレビでも何度となく紹介されている。しかもこの老板前よりずっとエレガントなやりかたで。
とりあえずは、その開発のために苦労をかけたという奥様をいたわってあげてほしい。
経産婦だけが体得できる幻の暗殺拳
エロマンガ島といえば「水没説」などというガセ(どうも出所は伊集院光のラジオ番組らしい)に本気で心配したりしたものだったが、こないだとある民俗学の先生のサイトの中に、エロマンガ島の歴史に関するこんなエッセイを見つけた。
内容はリンク先を読んでいただければいいのだが、要約すると……
・かつてエロマンガ島には1万人を越える住民がいたが、1820年代に白檀を狙った白人交易者が乗り込んできて、略奪に近い取引を行った。その結果、島の白檀は40年でほとんど伐採しつくされ、白人が持ち込んだ伝染病によって島の人口は4000人にまで激減した。
・さらに布教目的でやってきた宣教師たちが島民に毛布や衣服を与え、それが媒介となって伝染病がますます蔓延した。
・残された島民もオーストラリアのサトウキビ畑で働かせるための奴隷狩りにあい、1930年代にはエロマンガ島の人口はわずか400人になった。
・現在、島民の人口は1500人にまで回復。しかしキリスト教化された島民はこの悲劇がかつての宣教師殺しや食人文化の報いだと思い込んでおり、自らその歴史を語ることはない。なんということだろう。エロマンガ島を漠然とパラダイスのように考えていたワタシは、この事実にショックを隠せない。現在もエロマンガ島の人々は低い生活水準と文化破壊の後遺症に苦しんでいるのだ。
日本のエロマンガ業界は、収益の何パーセントかをこの島のために使うべきではないだろうか。イメージアップになると思うが。
今個人的に最も気になる俳優 ロン・パールマン
いや、単に顔がおもしろいというだけなのだが、そのおもしろさが尋常ではないので。こないだ、ある人がそのとき話題にのぼっていた別のある人を評して
「あのコは“がんばり屋さん”だからなあ」
と言ったのを聞いてちょっとハッとした。がんばり屋さん。いまどき日常会話ではちょっと出てこない言い回しだ。
しかし、「がんばり屋さん」「はにかみ屋さん」、あと「照れ屋さん」など、人の性向をこうして職業のように呼ぶのは茶目っ気があって楽しい。このまますたれてしまうには惜しい日本語の詩的表現だと思う。この言いかたなら、もっと口に出しづらいような人間の性癖も軽くカミングアウトできるのではないだろうか。たとえば
「別れた彼の家に無言電話2000回かけ屋さん」
とか
「銭湯で小学生のおちんちん凝視屋さん」
とか
「都合のいいときだけ自称神経症屋さん」
とか
「傷だけ大きくてあんまり痛くないコツをつかんだ手首切り屋さん」
とか。
ネタとしてぜんぜんうまくいかないわりに書いててなぜか凹むのでこのへんにしておく。
『あたしンち』は小池一夫原作
よく「お前は精神年齢が低い」などと言うが、「精神年齢」というのが本当のところなんなのか、よく知らない自分に気づいた。あれは厳密に定義され、厳密な判定方法で算出されるものなのだろうか。
googleで「精神年齢」を検索してみると、有名な「精神年齢鑑定」のサイトと、その鑑定結果を載せた個人ページが延々と出てくる。だが設問を見る限り、これはよくある「あなたの○○度鑑定」とか「○○占い」とあんまり変わらないようだ(それにしてもなんでこういうのの鑑定結果を自分のサイトに載せるヒトが多いのかなあ。それがプロフィールになってると思ってるんだろうか。「○○への100の質問」もそうだけど)。
ワタシが一番解せなかったのは、この精神年齢鑑定の30の設問に、ひとつも「うんこ」や「ちんこ」に関するものがないということだ。「おなら」「おっぱい」すらない。精神年齢を語る上で、これらの要素は欠くことができないはずである。うんこ、ちんこ抜きではその信憑性も薄らぐというものだ。
結局、素直に辞書にあたってみることにした。するとこんなことが書いてある。せいしん-ねんれい【精神年齢】
〔mental age〕暦の上での年齢(生活年齢)とは異なり、知能の発達の程度を年齢であらわした尺度。知能検査によって測定される。年齢とともに知能が発達していく段階でのみ意味をもつ。MA 。知能年齢。
→知能指数
三省堂提供「大辞林 第二版」よりそうか。本来の精神年齢とは、あの知能指数(IQ)テストによって判定されるものだったのだ。
しかしワタシはIQテストで一度も「うんこ」や「ちんこ」に関する設問を見たことがない。だからワタシはIQというものも信用しない。
赤いキャンディは10年若返り、青いキャンディは10年おとなに
黒いキャンディは自決用です。よく雑誌の裏表紙なんかに載っている開運グッズの広告には、「これでわたしもこんなに幸せに!」という体験談が紹介されていることが多い。そしてその体験談の主は、たいていダメ感のただよう冴えないヒトビトだ。要するに「あんなショボいヤツらが幸せをつかんだんならオレ(わたし)だって」と思わせたいのだろう。
だが、最近その狙いがちょっと度を越しているような気がする。フェイクを通り越してファンタジーの領域に突入しているのだ。
たとえばこんなのとか、
あるいはこんなのとか、
それからこんなのとか。
最後の女性は開運グッズのおかげで念願の結婚にこぎつけたということだが、その射止めたダンナというのがこれである。これらの商品を売ってる業者は、むしろ人間の「負のパワー」を集結させることに卓越しているように思える。
清田くん、エスパー廃業
自分で辞めたりできるんだ、エスパーって。こないだ10日ほど、韓国を旅行してきた。
旅はとても快適でトラブルもほとんどなかったのだが、一度だけガイドと称するみやげもの屋に引っかかってしまったことがあった。日本語の勉強にもなるからとクルマで寺を案内したあと、ちゃっかり自分の店に連れてってなんか買わせるわけである。ありふれた手だ。
旅程も半ばを過ぎたころで気がゆるんだというか、魔がさしたとしか言いようがない。怒って店を出ようにも宿泊先はこの店のすぐ近くだし、部屋まで乗り込まれても困るのでワタシはあきらめてテキトーなものを買ってやることにした。そのとき買ったのがこれである。お値段50000ウォン(5000円)なり。
実のところ、まんざらでもない買い物だったと思ったりもしている。
汁を流す国際貢献
こないだ法事でひさしぶりに故郷の京都に帰省した。ふだん東京に住んで自分でも仕事の場などでは東京弁(関西人は標準語のことをこう呼ぶ)を使ったりするワタシだが、やっぱりネイティブなことばに囲まれて過ごすのは心地よいものだ。
帰省中に友人と会っても、いきおいそんな話題になる。ワタシ「いやー、こっちに帰ってくると京都のことば全開で使えるからホッとするなあ」
友人「そやなあ。たとえば?」
ワタシ「やっぱり食べ物の話なんか顕著やね。“おだいのたいたん”とか“あものやいたんにおしたじつけたん”とか、トウキョウではぜったい通じひんやん」
友人「……ハァ? なんやそれ、呪文?」なんだかちょっとささくれた気持ちになったので、ここでもこのことばの意味はあえて書かないまま終わることにする。
「となりの家に囲いができたんだってねえ」 「ハンセン病の祖父はその囲いからもう一生出ることはできません」
後味の悪い小噺シリーズその2。朝テレビをつけたら、暴力団の組事務所で組員の死体が見つかったというニュースをやっていた。
前々から思っていたのだが、なぜ組「事務所」というのだろう。組員がそこでやってるのは「事務」なのか。
帳簿つけたり資料コピーしたりしてるのか。アニキがエクセルわかんなくて子分に聞いたりしてるのか。ひじにはやっぱりカバーつけてんのか。月末になると清算まだですかとうるさく言われるのか。舎弟が給湯室に集まってシノギの苦労をグチったりするのか。
なんか暴力団を正式な事業として認めてしまってるようで不快だ。あれは「アジト」でいいと思う。
「この帽子、ドイツんだ?」 「それはあなたが密告して収容所送りになったユダヤ人のものですよ」
後味の悪い小噺シリーズ。あらゆる人間は、その世代ごとの「原罪」を背負っているとワタシは考える。
たとえば1930〜40年ごろの日本人は、軍部の肥大化による無謀な拡張主義を止めることができなかった。もちろん、このことを「罪」としてその世代に押しつけるのはお門違いだろうし、むしろそれは歴史の必然だったのかもしれない。だが、ふりかえってみて「ありゃーなかったんじゃないの」「戦争するにしてももすこしやりようがあったよな」という「負い目」のようなものは拭いきれないと思う。そういう「通しちゃマズかったものを素通ししてしまった」気まずさのことをワタシは「原罪」と呼ぶ。
同様に、1960〜70年代の学生運動やらヒッピームーブメントやらフォークゲリラやらも、あれはその世代の「原罪」だろうと思う。きっとこれも歴史の必然と言えば言えるのだろうが、いくつかの「素通しさせちゃいけなかったもの」を素通ししてしまった。その残滓がヤマギシズムとか、ピースボートとか、週刊金曜日とか、あと長渕。そしてやっかいなのは、この世代の人間というのは戦前・戦中の世代よりもさらに「気まずがってくれない」ことだ。
かくいうワタシも80年代にワカモノだった世代なので、このときに素通ししてしまったいくつかの「原罪」があるに違いない。それが何であるのかは自分の世代であるだけになかなかはっきりとは言い表せないのだが、こないだレンタルDVDで『悪魔の毒々モンスター 新世紀絶叫バトル』
を観たとき、とてもなつかしく感じたと同時になぜか「すまなかった」という気持ちでいっぱいになった。誰に、というわけではなく。
アルゴリズム行進〜バターンの捕虜さんたちといっしょ!
ひっくりかえってぺこりんこ〜掲示板でのやりとりで思い出したが、ワタシがいままで訪れた場所のなかで、最も期待はずれだった場所は沖縄の「漫湖」である。
マングローブが生い茂り、多様な生態系が保存されている漫湖。ラムサール条約によって「水鳥の生息地として国際的に重要な湿地」と認められた漫湖。
さぞやすばらしい眺望が期待できると思って行ってみたら、産業道路みたいなのに囲まれたなんだかどんよりした沼で、周りにもここが特別な場所であることを示すものがなにもない。ただひとつ「漫湖公園」というのがあったが、ここは近所のじいさんとかが昼寝してるだけの、ほんとに単なる街の公園だった。
テロ以降観光客が遠ざかっていると言われる沖縄県だが、ここは新たな観光スポットとしてもっと漫湖を盛り上げるべきではないのか。まずは、漫湖のよさをアピールするキャッチコピーを考えねばなるまい。・生命のふるさと 漫湖
・すべてのいのちは漫湖からうまれる
・ゆたかな漫湖にふれてみないか
・見てください わたしたちの漫湖おみやげ品の企画開発はぜひわが日本ちんこまんこ学会にご用命ください。
円楽「山田くん、例のモノをなめまわしてください」
本来この「プチよしなし」のスペースはもっと頻繁に更新することを目指していたのだが、どうもなかなかうまくいかない。
さあ書こうと思っても、つい「単なる身辺雑記みたいなのはなるべくやりたくない」とか「ニュースサイトやblogで見たネタはもうみんな書いてるだろうしなあ」とか、いちいち考え込んでしまうからだと思う。
一応、なんか思いついたらとりあえずメモっておくようにはしているのだが、そういうのは後で見返してもほとんどとりとめがなさすぎて、発展のさせようもない。たとえば……●ダンディ坂野とゲッツ板谷が頭の中で微妙にかぶる
●使い込まれたチアリーダーのポンポンはきっとすごくくさいはずだ
●ちんこが包茎なのはいい。だが心まで包茎になるな
●人間交差点を二段階右折するようなオレの人生……よく考えたらタイトルネタにとっとけばよかった。
「谷」という字はヤワラちゃんの横にいるときの谷選手の顔に似ている
最近いろんなとこで『リアル鬼ごっこ(山田悠介著・文芸社刊)』という本が話題なので、ワタシも読んでみた。作者はこれがデビュー作で、発表当時20歳だったという。
ストーリーを要約すると、西暦3000年のとある王国に佐藤という姓の王様がいて、その王様が「自分の一族以外に佐藤という名前のヤツがいるのはヤだ」と言い出したおかげで国中の佐藤姓の人間が狩られることになる……というもの。
そんな斬新だかなんだかもはやよくわからない物語が、作者独特のざっくばらんな文体で連綿とつづられていくのだ。以下にちょっと引用してみよう。「この際、佐藤という名字を全て抹殺しよう」
王様は平気でそんな事を言ってみた。いや、本気だった。
耳を傾けていたそれぞれが、ズルッとこける様に肩が傾いた。そして肝心なのが佐藤さんを捕まえるべく鬼の数である。全国に総勢百万人以上の鬼を配置すると王様は発表。(中略)
そして、最も肝心なのはここからである。その百万人の鬼、一人ひとりに“佐藤探知機ゴーグル”をかけさせる。宮殿では朝食の時間を迎えており、メイド達が次々と豪華な料理を運び出していた。 それは朝食とは思えないほどの豪華さで、一般市民がこの料理を見たらこれが本当に 朝食か?と目を仰天させるに違いない。(中略)
王様の目の前に全ての料理が出そろった。豪華で目を見張るほどの大きなテーブル。目の前には全てが金で作られているナイフやフォーク。そして、背もたれが必要以上に天井へと伸びている豪華なイス。全てが“豪華”これ以上の単語が見当たらない程、豪華であった。
(引用終わり)日本のアウトサイダー・アートは、意外にも文壇に現れたのであった。作者はすでに2作目を上梓し、3作目も準備しているという。もう目が離せない。
……そういえば、6歳でデビューした『天才えりちゃん金魚を食べた』の竹下龍之介くんって今なにしてんだろ。
戦争をやめて! でないと手嶋支局長が死んじゃう!
今回はおたよりコーナーです。以前、ここでエッグスタンドの話を書いた。結局あれ以来ワタシはエッグスタンドを使わなくなってしまったのだが、「勝手邦題」あての投稿のついでにこんなことを教えてくださった人がいた。
余談ですが、エッグスタンドで優雅に半熟卵を食すには。
卵の殼を割るためだけに存在するという信じ難いほど贅沢な道具を用います。(商品名はエッグハンマータッチと呼ばれるらしい)。卵に金属カップをかぶせ、付属のバネ付きハンマーで叩けばちょうど上だけ殻がきれいに外れる調理器具です。これはナチが使った頭蓋骨粉砕機が原型になっているとか。最後の一文は嘘ですが。
(「総統閣下の0088」さんより)さっそく検索してみたら、あった。これだ。
(注:pdfなのでAcrobat Readerが必要)
たしかになんだか楽しそうな器具だ。そして、そこはかとなく拷問具っぽくもある。レクター博士もこういう器具でアタマを開けたりしたのだろうか。ちんこの皮をむくのにも使えそうだ。使えないよ。
米軍、バクダッドに量産型アーミテージを実戦投入
前回「日常に擬音を挿入できるグッズがあるといいなあ」というようなことを書いたが、そのことを知人と話していて「じゃあどういう擬音がいいか」という選考会になった。
結果、ほしいものベスト3として・時代劇で主人公の役者が見得を切るときに鳴る「カコーン」という音
・『川口浩探検隊』でなんかあったときに鳴る「ズギャーン」という音
・『毎度おさわがせします』の勃起音「ぴろり〜ん」あたりが出た。
そのチョイス自体は知人とワタシとでだいたいすぐに一致したのだが、かみ合わなかったのはこれらの擬音を口でどう表現するかという点だった。
「川口浩のやつはバオーンだろ。ズギャーンはむしろ時代劇のほう」
「ボッキ音はもっと“ぽろ〜ん”みたいな淡白なSEじゃなかったっけ」
「それより、トミマツでトミコが暴走するときの音ってどんなんだっけ?」ほんとにどんなんでしたっけ?
こぶ平がこぶ平でなくなっちゃうなんていやだ!
いや、ほんとうはまったくもってどうでもいいです。昔の知り合いに「自分で自分の動作に擬音をつけるひと」がいた。
よく「もうちょっとバーンとした感じで、こうドドーンとインパクトのあるコピーをチャチャッと頼むよ」とかいった擬態語だらけのしゃべりかたをする人がいるが、そういうのとはちょっと違う。彼は、たとえば振り向くときに「ウィ〜イイン」と言ったり、イスにこしかけるとき「ドシン」と言ったり、ものを食べながらほんとうに「モグモグ」と言ったりする。つまり、自分の口で自分自身にエフェクトをかけているのだ。
なんでそういうことをするのか、と問うと「脳が身体に指令を出す段階ですでに擬音が織り込まれている」のだという。ワタシも「頭でモノを考えるときに“(小説の)地の文”がついてくる」人間なので、なんとなくわかるような気はする。
ただ付き合ってる側としては、普通のときはまだしもこっちの気が滅入ってたりするとうっとうしくってしかたない。ワタシは一度キレて食ってたパンを彼の口にねじこんだことがあったが、その瞬間ものすごい絶妙なタイミングで「がぼっ」と擬音をつけられたので怒る気も萎えてしまった。
彼の最大の悩みは、飲み物を飲んでいるときに「ごくごく」という擬音をつけることがどうしてもできないことだという。
こういう擬音を何種類か記録して、必要なときにボタンを押すとそれが流れるようなグッズがあるとちょっと面白いと思うのだがどうだろう。いや、それは邪道だと彼なら言うだろう。ていうか単にうっとうしいだけだが。
たかし、おばあちゃんにはザオリクは効かないのよ!
日増しに緊迫の度を高めてくるイラク情勢であるが、ワタシが気になってしかたないのはアメリカのライス報道官である。さらに言うと、彼女のまゆげだ。
ライス報道官のまゆげは、まあたぶん描いてるんだとは思うのだが、どうもいまひとつぞんざいなのだ。そもそも左右が対称じゃない。左のまゆげが右に対して「テキトーにビュッと描いた」感じで妙に切れ上がっている。それゆえ、なんか「メンチ切ってる」ように見えてしまうのだ。この感じはニュースなどで動画を見ないとピンとこないかもしれないが、一応ライス報道官の写真が見られるリンクをいくつか張っておく。(その1、その2、その3) リンクが切れてたらご容赦いただきたい。ささいなことかもしれないが、報道官といえばアメリカのメディア戦略の要である。その目に見えるすべてのことには、なにか意味があると考えるのが当然だ。きっとライス報道官のまゆげが揃うとき、なにかものすごいことが起こるにちがいない。それはあの終末時計の長針と短針のように、人類の未来を暗示しているはずなのだ。
ああ、ワタシはライス報道官のまゆげがもっとていねいに、そして願わくばあんまりキッと上がってないナチュラルな感じに整えられることを心の底から願っている。
日本を代表する女子柔道軽量級選手における体力要素と背負い投げの技術分析について
↑田村亮子の卒論のタイトル(本当)。PS2で浜田省吾のゲームが出るらしい。
なんでも、浜田省吾が歌で世界を救うというストーリーなのだそうだ。ステキである。
ジャケにはアニメっぽく描かれた浜省の勇姿。かっこいい。かっこよすぎで誰だかさっぱりわからない。
戦闘シーンがどうなるのかも楽しみである。たぶん攻撃コマンドには「BIG MONEY を たたきつける」とかいうのが入っているに違いない。逃走コマンドはもちろん「おわりなき しっそう」だ。
ただひとつ気になるのは、ゲーム中の浜省がGジャンとバンダナをつけてないところである。しかし、きっとそれはラスボス戦直前の最強装備なのだろう。
なんだかすごくプレイしたくなってきた。買わないけど。
何種類あるんだ「○○への100の質問」
やっぱり「聞かれたから答えてやる」というスタンスで自分語りできるのがミソなのかねえ。昔の歌謡曲に『黄色いさくらんぼ』というのがある。歌詞の
「若い娘が うっふ〜ん」
という部分がわいせつだとして放送禁止になった歌だ。「当時の放送倫理はそれだけ厳しかった」ということを示す有名なエピソードである。
だが先日、ラジオの懐メロコーナーかなんかでこの曲のオリジナルが流れていたのを聴いたとき、ワタシは驚いた。件の部分は「うっふ〜ん」だと思っていたのだが、厳密には違うのだ。あえて忠実に音写してみるなら
「若い娘が んっ……んぅん……」
である。
まぎれもない。これは
入ったときの声だ。放送禁止になって当然である。
おみせやさんごっこはじめました。
まだ品数ないけどね。ここ4、5年ほどのことだと思うが、『笑点』で急に楽太郎が社会派ネタを連発するようになった。本来、辛口の時事ネタは歌丸の担当であったはずだ。
ワタシは即座にそれが「歌丸Xデーへの布石」だと直感した。歌丸亡きあと時事ネタを継げるのはインテリの楽太郎しかいない、さりとて今まで若旦那キャラだった楽太郎が突然シニカルな芸風になるのは不自然。そこで、あらかじめ少しずつ楽太郎の芸風を社会派へとシフトする作戦なのだと思ったのだ。
だがそれから月日は流れ、まだ歌丸は逝く気配を見せない。元気な歌丸の横で時事ネタを発する楽太郎は、なんだか居心地が悪そうだ。きょうの「天皇陛下入院で皇太子が公務を代行」というニュースを見て、ちょっとそんなことを連想した。いや、別に他意はないんですが。
あとあんまりカンケーないが森繁、しぶといなあ。きっとナンシー関があの世の入り口で追い返したのだと思う。
染之助はこの先ずっと喜久蔵とやっていくのか
昔からあこがれていたもののひとつに「エッグスタンド」がある。
ほら、向こうの貴族のヒトとかの食卓にあるじゃないですか。ゆでたまごが専用のスタンドに立ててあって、てっぺんのカラだけ割って中の半熟の身をスプーンですくって食べるやつ。
ワタシが最初にそれを見たのはアニメ『ルパン三世 カリオストロの城』での、カリオストロ伯爵の食事シーンであった。このシーンで伯爵がエッグスタンドのたまごを食べるしぐさはとても優雅で、そしてものすごくうまそうに見えたのだ。
それ以来、心のすみっこで常にくすぶっていたワタシのエッグスタンド欲であったが、こないだ雑貨屋に安価で雰囲気のよいエッグスタンドがあったのでつい買ってしまった。今まで踏み出せそうで踏み出せなかったエッグスタンドへのときめきがワタシ(33さい独身男)の心を駆け抜ける。さっそく、次の日の朝食で使ってみることにした。
つかってみてわかったこと。1)エッグスタンドに立てたたまごのてっぺんのカラを割るのはむずかしい。
2)そして割るとカラの破片がたまごの中に入ってウザい。
3)たまご1コではぜんぜん食い足りない。
4)かといって2、3コいっしょにゆでて、食べるごとに1コずつスタンドに立てなおすのは非常にむなしい。
5)ていうか主食はコメだし。というわけで、あんまりよいものではなかったですよ。だがそれを知るのもひとつの成長というものか。ありがとうエッグスタンド。そしてさようなら。今年で34歳、一生勉強である。
ところでこないだ『カリ城』の件のシーンをよく観返してみたら、実はかなりいいかげんだということに気づいた。伯爵はエッグスタンドに立てたたまごを割らずに、頭の部分だけスプーンですーっと切り取って横に捨てているのだ。そのスプーンはたまごのカラを切れるのか? それともたまごがカラを全部むいてエッグスタンドに立てられていたのか? あと捨てたとこの白身もったいないだろ! どうなんだよ駿!
プチよしなし(2007年)
以前のプチよしなし(2005年)
以前のプチよしなし(2004年)
以前のプチよしなし(2002年)
以前のプチよしなし(2001年)
『そこはか通信』タイトルページにもどる