うちのかあちゃんアニメ声
ごぶさたです。ちゅうか、今年全体を見てもあんまりここの更新してないですね。いや、いろいろあったんすよ、ホントに。その「いろいろ」のうち比較的差し障りのないことをひとつ書くと、こないだ痛風が悪化して何週間も悶絶するハメになった。最後には足がイカれて這うこともできなくなり、自分で救急車を呼んでしまったくらいだ。
そんなとき、心底怖いと思ったのは「ひとり暮らしで倒れても誰も異変に気づいてくれない」ということだった。こちらもオオゴトになるのはイヤなのでギリギリまで外部に連絡すまいと意地を張ってはいたのだが、それにしても何日も連絡を絶っていれば親しい人間なら異変を感じていいはずだ(←身勝手)。
で、落ち着いてから、「親しい友人」とワタシが思っている人間のひとりに「オレずっと倒れてたんだよ、気づいてた?」と聞いてみた。すると、そいつはこう言った。
「え? でもmixiのログイン履歴見てたら、しょっちゅうネットにつないでるみたいだったから」
そうだ。ワタシは倒れる直前、とあるサイトを定点観測するために、一定時間ごとにブラウザをリロードするよう設定していたのだ。で、そのおかげで、ワタシが入会しているmixi(ソーシャルネットワークってやつですね)のログイン履歴が頻繁に更新されていたというわけである。
本人が寝床からまんじりとも動けないでいるときに、せっせと「自分はココにいる」という足跡を残していくパソコン。もしワタシがそのまま死んでしまっても、きっとしばらくは誰にも気づかれなかったのではないだろうか。
事実、この文章も、なにかのプログラムによって自動的に生成され、自動的に書き込まれているものかもしれないではないか。実体としてのワタシはもう存在しないのに。……てか、そんなプログラムがあったらこんなに更新間隔開いたりしませんね。
NHK『生活ほっとモーニング』の岡本ツインズには気をつけろ!
いや、なんとなく。品揃えが面白いので、定期的にウォッチしているアダルトグッズの通販サイトがある(以下18歳未満閲覧禁止)。ここの商品は、アゴに装着するペニスバンドとか、メスブタの形のオナホール(比喩ではなく)とか、とにかくトチ狂ってるのが多くていい。はじめて訪れる人は、とりあえずまずは「オナホール」のコーナーをひととおり見てほしい。ほとんどクローネンバーグの世界である。
で、そこでこないだ見つけた新製品。
ラブピロー芽生&沙也香
要するに昔からある風船式のダッチワイフなのだが、彼女たち(というのか)の最大の特徴は、いわゆる3Dポリゴン美少女のテクスチャーをその表面に貼り込んでいる点である。
だが、それだけのことなのに、この禍々しさはどうだろう。もし薄暗い部屋でこんなのに遭遇したら、ワタシなら悲鳴をあげてビッグジョンに助けを求めるところである。
なぜ8月の終わりはこんなに心ざわめくのだろう宿題があるわけでもないのに
アテネオリンピックはあまり熱心に観てないのだが、今日ニュースで卓球・福原選手(意地でも「愛ちゃん」と呼ぶつもりはない)の凱旋会見を報じていた。その中で、例の競技中の奇声について「あれは何と言ってるのか」という質問も飛び出したのだが、福原選手は「なんでみんなそんなことにこだわるのか」と明言を避けていた。
いつもならこういうシチュエーションを見ると「くだんねーこと聞くなよマスコミ」とインタビュイー側の肩を持つことの多いワタシだが、今回はなんだかマスコミ側に同情してしまった。
取材側の事情として、特に文字メディアの場合、ああいうキーワードになりうる文言はきちんと活字化できなければ困るのだ。「卓球愛ちゃん、○○○と気勢」などと見出しを打ちたくても、それをどう表記すべきなのか確定できないとおいそれとは使えない。テキトーに書いたら親が怒りそうだし。
たしかにこれは瑣末な、取るに足らないことではある。だが、取るに足らないことだからこそ、もったいぶらずにサクッと答えりゃいいじゃないか。意味があるならある、ないならないと。ワタシも仕事でインタビュー記事を書くことがあるが、こういうたいしたことのない(でも事実確認とか表記統一とかいった実務的な理由で聞いておく必要のある)ことに限って、もったいぶった答え方しかしないヒトがたまにいるのだ。質問に答えないことが自分を神格化することだとカンチガイしてる、そんな手合い。
福原選手があのシャウトの真実について沈黙するなら、それをメディアがどう表現するかについても白紙委任したと考えるべきである。たとえば
「愛ちゃん、相手選手に“殺ーっ!”と怪気炎」
とか書かれても文句は言えまい。
いくら凝ってるからって一日おきに麻婆豆腐をつくるのはやめよう
掲示板のほうで教えてもらった話なのだが、これはちょっと記録に留めておくべきだと思ったのでこちらで紹介させていただく(単にネタがないという話もあるが)。着付け舞、あるいは帯舞というジャンルの芸事があるらしい。着付けとはすなわち和服を着るアレのことだ。そして舞は……だから舞いですよ。舞うんですよ。要するに、「和服の着付けの所作を踊りながら見せる」わけだ。
おそらく最初は、難しい着付けの手順をスムーズかつエレガントに覚えさせるために、ちょっと試しに踊りを取り入れてみたのだと思う。だがそれがどういう経路をたどっていったか知らないが、いまや独自の珍芸能に異常進化しつつあるようだ。このへんのサイトを見ると、もうすでにかなりすごいことになっていることがわかる。なんだろう、このじっとりとした隠微さは。掲示板でも指摘されてたとおり、「服を着ていってるはずなのに、なんとなく露出狂的」なカンジ。
考えてみれば着付け教室も日舞も、流派やしきたりがあってお師匠さんと弟子がいて……というような「伝統芸能のフォーマット」を備えている点では共通しているのだから、この劇的なコラボレート(←不適切な用法)も自然な流れなのかもしれない。でもまさにその「伝統芸能のフォーマット」のせいで、外部からはまったくツッコミフリーの野放図空間が出来上がってしまっているわけだ。本当はどっちも芸事としてはそれほど伝統や格式があるわけじゃないからなあ。
かつてワタシはこのサイトで、演歌やムード歌謡を日本舞踊的な所作で舞う「歌謡舞踊」のブレイクを予言してみごと外したが、この「着付け舞」に関してはこれからも物陰からそっと見守っていきたいと思う。
現代において狂気を演じきれるのは理性のみである
↑人生で最も感銘を受けたセリフ(出典:『アイアイゲーム』の山城新伍)ふだん会話の中でもよく使うのに、ふと考えると漢字でどう書くのかわからない単語というのがある。
ほら、ストッキングがピッと破れるのを「デンセン」っていうじゃないですか。あれ、漢字でどう書くんだろう。というか、どういう意味なんだあれ。最近ではどうも「伝線」という字を当てるのがポピュラーで、辞書によってはそれで見出し語として収録されているようだが、「ストッキングの生地が繊維に沿って破れる」という現象を表す熟語としてはいまひとつピンと来ない。
ワタシは小学生のころにも気になって周囲に聞いてまわったが(ヤな小学生だな)、そのときは「電気が走ったように切れるから“電線”」「小さなほころびから“伝染”していくから」と、解釈も一定していなかったと記憶している。たぶん、それらのすべてのイメージが渾然一体となって、音だけが先にできた言い回しなのではないだろうか。で、それに「伝線」というそれらしい字を当てた、と。それにしても、誰が最初に言い出したんだろう。ストッキングに関することなんだから、最近のことだと思うんだけど。
あと「結果オーライ」という言い方があるが、あの「オーライ」とは「all right」のオーライでいいんだろうか。これも、「結果オーライ」がいつ生まれたことばなのか判然としないせいで起こる疑問である。もし英語の「オーライ」なら、つい最近の造語ということで「誰が最初に言ったか」までわかりそうなもんである。誰だ。巨泉か。だが、けっこう年配の人もわりとフツーに使ってたりするので、どうも混乱する。
たとえば「結果往来」だったりはしないのか。「さまざまな憶測や予断が世間を往来するが、結果を見ればそれがすべてだ」とかいう意味で。
あるいは、仏典に記された聖者ケッカオウライの故事にちなんではしないだろうか。弟子たちが仏教を庶民に広めるためにはどうすればいいか侃々諤々の議論を繰り広げていたとき、座に現れてひとこと「手段などは問題ではない、仏の教えを知らしめる、その結果が正しければよいのだ」と諭したとか。漢字で書くと潔迦汪来。
なんか一気にヤンキーくさくなったのでこの辺にしておく。
気がつけば1ヶ月半ほったらかし
すみませんねえ。そしていつのまにやら35歳になってしまいましたが。どんな仕事にも困難(おもに上位クライアントによる)があり、それに対してどんなに理不尽な(おもに上位クライアントによる)要求があっても、それに柔軟に対応して先方(おもに上位クライアント)の意向に沿うのが正しい社会人のありかたである。だがそんな「正しい社会人」に誰もがなれるわけではない。
ここんとこのライター仕事で、上位クライアントからの急な方針変更やムチャな要求に振り回されることがたびたびあって、ふと同業者にグチってしまったときのこと。彼は「あー、そういうことってよくあるよねー」と気楽に言いつつ、自分がとある現場でエロゲーの原稿を書いたときのことを語った。
彼いわく、彼が書いた原稿のうち、彼が自分のエロライターとしての魂魄をもっとも傾けて書いたという一節にことごとく赤が入っていたのだという。
「いやー、媚肉を貪ったとか獣欲にかられてとか欲棒にからみついた濃厚愛汁とか、ぜんぶに赤でバツがついてて、横にひとことだけ書いてあるんだよねー。
もっと萌えるように
って」
他人にグチを言ったとき、それ以上にキツいネタを開陳されて己の不徳を思い知ることがままあるが、ワタシにとってはまさにこれがそうだった。まだまだ修行が足りない。
「なぜファストフードと言うか知っとるか?……死期を早めるからじゃ」
『レモ/第一の挑戦』より。謹んで藤田田氏のご冥福をお祈りいたします。静かすぎると眠れない性質のワタシは、床に入るとNHKの『ラジオ深夜便』をつけておくのが習いである。あの淡々としたアンカーの口調と、適度にどうでもいい内容の放送が、いい具合に眠りへと誘ってくれるのだ。しかし、たまにそれが逆効果となることもある。
この番組ではときどき1コーナーとしてラジオドラマをやるのだが、それがなぜか決まって年老いた男と若い女との不倫もの。しかも、その若い女の役をやるのが、あろうことか必ず中村メイコなのである。
夜中の1時から聞こえてくる、中村メイコの甘いささやき。こないだなど温泉に不倫相手と浸かってるシーンで、男に身体を触られ「いやん、やめてよぅ」などとヨガってたことさえあった。どういうつもりだ。
実はたった今も、夢の中にベッドでおねだりする中村メイコが出てきたせいでハッと目が覚めてしまったところである。半分眠った状態でラジオを聴いていたものだから、夢の中にメイコが侵入してきたのだ。飛び起きたワタシは、体中ぐっしょりと寝汗をかいていた。
いったい、このドラマにどういう需要があるというのだろうか。聴取者の中心が高齢者だとは言っても、メイコはないだろう。だが繰り返し放送されているということは、このドラマシリーズもけっこう好評なのだろうか。日本のどこかには、メイコの声で回春しているご老人もおられるのかもしれない。
そんなことを考えるにつけ、ますます眠れなくなる夜更けである。
さっそく前の文章におしかりのメールがきましたよ。
なのでさっさと更新。でも削除はしません。それまでどうにも心の中でしっくりこなかった事象が、あるひとつの「発見」によってぴったりとフォーカスされる。そんなことが、人生にはたまにある。
このところ韓国の恋愛ドラマが注目を集め、『冬のソナタ』のぺ・ヨンジュンや『美しき日々』のイ・ビョンホンが日本の女子および元女子たちの間で熱狂的に支持されているという。
韓国モノにはかねてより興味を抱いているワタシだが、これらの(パロディとして観るにも)甘ったるすぎてどうしようもないドラマと、うさんくさいエセクリエイター(おちまさと系)みたいな主演男優の突然の人気っぷりに、どうしても得心がいかなかった。ワタシが考える韓国のオトコマエといえば、たとえばホ・ジュノのように、焼酎で酔っ払ってそこらへんの屋台をキックで破壊しそうな無礼講ケンチャナヨ系アニキである。甘口なイケメンだったら、日本のほうがお手軽にたくさん見つかるだろう。
そう思ってたところ、こんなハナシを耳にした。韓国ファンはイ・ビョンホンのことを、『キャンディ・キャンディ』のアンソニーにちなんで「ビョンホニー」と呼ぶ。
そしてペ・ヨンジュンの愛称は「テリュース」。ワタシの頭の中で、すべてがひとつにつながったような気がした。そして、そのつながりの中にワタシの入る場所はない。
気づいてみればこんなにごぶさた
これまで屋外からの中継でずっとやってきたNHKの昼の番組が、今季の改編でスタジオ収録番組に変わってしまった。これは非常に残念なことである。
NHKのお昼の番組といえば、あんまりテレビずれしていない田舎のじいちゃんやばあちゃんが織り成す生放送中のハプニングが最大の醍醐味であった。ダンドリを無視して延々と自分のしゃべりたいことをしゃべるばあちゃん。温泉からの中継でまろび出てはいけないものをまろび出してしまうじいちゃん。そして、それらのイノセントな素人をさばききれずにオロオロするアナウンサー。こんなに刺激的な番組はほかになかった。
とくに残念なのは、もうインタビュー中に「うちんとこの部落は……」などとつい言っちゃうおっちゃんと、それを凍りついたような表情で「あ、む、村ですよね」とフォローするアナウンサーの掛け合いが見られなくなることだ。
「部落」という単語が日本一頻出する番組、ひるどき日本列島。かえすがえすも惜しい番組を失ったものである。
はなくそっておいしいよね
今年の芥川賞受賞者に綿矢りさと金原ひとみが選ばれたという事実は、文芸を志す世の多くの人に大きなルサンチマンを呼び起こしたと思う。それは作品そのものの評価や作者の若さではなく、彼女らの容姿がイケてるという点においてである。まあ金原ひとみは正直ビミョーではあるが、ふたりともプロに撮ってもらった顔写真をでっかく電車の中吊りに載せてもらってるということは、もう「顔で売る気まんまん」なのであろう。直木賞の京極夏彦も、客観的にはどうあれ本人の脳内ではビジュアル重視のつもりらしいし。
みっともないのであまり言わないが、ワタシもいずれは文芸の分野で一旗あげたいと夢想する者のひとりである。だが昨今の文芸界においては、作品よりも作者のスター性、ビジュアル的要素が重視されているような気がしてならない。若者の活字離れからどんどんその市場を狭めている文芸界で、客をつなぎとめておけるのは作品の内容より作者の顔だというわけか。それが「J文学」とかいうものの正体か。
ワタシはそのような「J文学」へのアンチテーゼとして、「B(ブサイク)文学」を提唱したい。ブサイクにも捉えることのできる美、ブサイクであるからこそ生まれる反抗、ブサイクでなければ描写しえない鬱屈。そういった力を、文芸の新たな礎とするのだ。けっして作品以外の要素で読者に媚びることはしない。それがB文学だ。B文学の拠りどころとなる先人はもちろん梶井基次郎である。
ジョン! 健! ヌッツォ! 誰だーっ!!
↑『破裏拳ポリマー』のふしで世間では鳥インフルエンザの脅威が取りざたされている。もともと野鳥の間で発生したものが家禽のニワトリに感染し、さらには人間に影響を与えるウィルスへと変異していったらしい。
人間と他の野生生物との接触によって新たな感染症が顕在化することは多い。以前まことしやかに語られていたある説では、エイズというのはもともとサルの病気で、あるときサルとついヤッちゃった人間を媒介にして人間界に広まったのだという。
なぜこんな妙な説のことを持ち出すかというと、ワタシは気づいてしまったのだ。今われわれの生活をおびやかしている動物感染症の共通点を。
まず鳥インフルエンザ。ニワトリというのはあのタマゴの出てくる穴が非常に具合がよろしいらしく、獣姦ものの定番としてよく知られている。きっとだれかニワトリとヤッたヤツがいて、それがヒトへの感染のきっかけになったに違いない。
そして狂牛病も、もともとこれはスクレイピーと呼ばれるヒツジ特有の病気があって、そのヒツジの肉骨粉をエサに混ぜたせいで牛に同様の症状が出たという説がある。ヒツジといえば、これもまた具合がよいことで有名な動物だ。きっとだれかヒツジとヤッたヤツがいて、それが何らかの影響を与えていると思われる。むろん、鯉ヘルペスも同じ原因であることは言うまでもない。
(参考:鳥羽SF秘宝館・松野正人館長の若き日をモチーフにしたロウ人形「松野正人・鯉の快感を体験する」)
狙った女性を自在に閉経させることができる闇魔法
どうもここんとこ私事でいろいろのっぴきならないことになりがちなのだが、そのときもワタシは電話で先方とのっぴきならない交渉ごとを行っていた。
なにぶんのっぴきならないので電話口で条件などを明言せずゴニョゴニョととりつくろっていたのだが、先方がついにキレて
「あーもう、煮え切らないタイドはやめろ!」
と詰め寄ってきた。なので、ワタシもつい
「わかったよ! 週明けまでに煮え切るよ!」
と答えてしまった。週明け、約束どおりワタシは煮え切って見せたのだが、どうも先方のお気には召さなかったようだ。
戦えぼくらのルサンチマン
今だ! キックを使え! 綿矢りさの背中だ!!流行る流行ると言われながら一向に流行らないもののひとつに「ダーツ」がある。ワタシがはじめて「次はダーツがクる」という話を聞いたのは80年代後半、いわゆるプールバーのブームに翳りが見えだしたころだった。以来、現在まで何度も「次はダーツ」とだれかが言い出し、そしてそのたびに不発に終わってきた。ワタシはわりとダーツが好きなので(疲れないから)、残念なことである。
……というような話題を知り合いと電車内でしているうちに、ダーツの投擲フォームのハナシになった。
「肩とヒジは固定して、ヒジから先だけを動かして投げるんだよね」
「そうそう、こうやって、シュッと」
「投げるというより、的を指差すようなカンジで」
などと言いながらふたりで何度もダーツを投げるマネをしていたら、近くの座席に座っている学生グループからひそひそとつぶやく声が聞こえた。
「カマキリ?」
「ああ、カマキリだな」
「カマキリ拳法だ」笑うな。やってる本人大マジメだったんだよ。
菩薩様がみてござる
原作:瀬戸内寂聴ずっと使っていたビデオデッキが昨年末ついに壊れたので、これを機にHDD&DVDレコーダーなるものを購入した。テープの残量や上書きの心配をすることなく、思いついた番組をホイホイ録っとけるのはやはり便利だ。
だが、問題がないわけではない。最大のネックは「自分でチャプターを切らねばならない」ことだ。録画したデータはビデオテープほどには自在に早送りや巻き戻しができないので、頭出し用のチャプターを設定する必要がある。自動的に一定時間ごとにチャプターをつけてくれる機能もあるのだが、なまじフレーム単位の編集ができるものだから、ついついきっちりとCMや見どころでチャプターを切りたくなってしまうのだ。
そんなわけで、ワタシは昨日1時間ほどかけて、録画しておいた『ヤワラちゃん&谷選手結婚披露宴』のチャプターを切るハメになった。ヤワラ披露宴のために1時間。1フレームの狂いもないように、コマ送りとコマ戻しを繰り返しながら。
しかも、その後データをHDDからDVDにダビングしたら、せっかく一生懸命切ったチャプター情報が無効になってしまった。ワタシは意地になって、DVDにコピーされた番組をまた1時間かけて編集しなおしたともさ。
なにかとてつもなく屈辱的な気分になったひとときであった。
プチよしなし(2007年)
以前のプチよしなし(2005年)
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